作業場小片: 子供を自己表現の道具にしない

小中学校向けワークショップの小片です。

2010年度から子供向けの演劇ワークショップを大量にやることが決まってから考えた、自分向けの戒めです。2年前か……。

作業場小片2:学校内で、子供を自己表現の道具にしない

子供というものは発達の途中にあり、精神的に未熟で無防備である。そんな子供が、大人の言うことは正しいという前提のある環境(例えば、学校)で、アーティストの言うことを聞き、やろうとするのは当たり前である。精神も環境も肉体も、対等ではないのである。ゆえに、そのような対象を使って、自己のアートを表現すべきではない。

子供を守ろう、という立場ではなく、アーティスト側の立場で、上のようなことを思いました。

こう考えたのです。以下。

子供というのは素直がデフォルトです。なにをやらせても、ひたむきにがんばります。そんなヤツらを相手にしていたら、そりゃまぁ快楽ですよね。いいなこいつら、最高だな、こーゆーヤツらばっかりで劇が作れたらいいのにな、それにひきかえおれが相手にする俳優どもときたら! とか思っちゃいそうです。
でも、それは、精神の発達段階や、学校という環境がそうさせているんであって、子供自身には「本物の自由意志」も「選択権」も、なかったりします。まだそういう歳じゃないじゃん、子供なんだもの。

で、そこを自分が勘違いして快楽に溺れたら……こわいしきもちわるい、って思いました。

全員が、その作品に参加する、という自由意志を持って関わるから、楽しく苦しく演劇づくりができるのだと思います。対等じゃない相手、自由意志がない相手を使役して劇づくりをするのは、あたりまえですが卑怯だし、邪悪です。(ただしアートには、絶対これはやっちゃだめ、はないので、これを卑怯・邪悪とみなさないという考え方もあるかもれません。関わりたくはないけれど。)

でも、頭では、こいつらが素直なのはデフォルト、精神も絶賛発達途中、とわかっていても、キラキラした目でひたむきにいろいろやられたら、身体が騙されちゃいそう、とも思いました。

気を引き締めないと、自分のなかのアートななにかが腐っちゃうぞこれ、って思いました。

というわけで、前に書いた「自分のアートのためにワークショップをする」と、この「子供を自己のアートの道具にしない」の間にあるものはなんだろう、って考えるところから、小中学校でやる児童・生徒向けワークショップの、プランとプログラムづくりを始めていった次第です。

今でも、この自己規定を守っています。の、つもり。

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