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学校一覧

次の出張上演のこと、短編劇をさくっと上演する仕組みができたらなぁのこと

先の土曜日、秋カフェ『お節介いろいろ』のAプログラムを、いわきで出張上演してきました。日帰りです。朝出発して、お昼を会場のLa Stanzaで食べて、1時間くらい確認稽古して、上演。そのままStanzaで美味しい夕ご飯食べて、帰京というコース。2畳のスペースでやれる短編劇だから、こういうことも可能です。ちなみにいわきでは、これが2度目の短編劇の出張上演です。

そして水曜、これを書いている日の翌日ですが、埼玉の高校でも出張上演をします。『お節介いろいろ』で作った桃唄の3作品を、一挙上演します。

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ある学校で算数ラップを見たこと

ある学校へ事後フォローへ行った時のことです。

そこは3年間継続して、私のワークショップをやった学校です。
事後フォローというのは、ワークショップをやった学校に伺い、その後の様子を聞き、こちらの参考になる意見を聞いたり、学校側の参考になるかもしれない意見を言ったり。そんな感じのものです。

校長先生とのやりとりのなかで、何人かの子ども達が、算数の苦手なA君のために、担任の先生を交えて「算数ラップ」をつくった、という話を聞きました。
算数で習う面積を求める公式などを、ラップ調にして唄いつつ、踊ったりするそうです。校長先生によればかなり本格的とのこと。

へぇ、機会があったら見てみたいな。そんな機会あるかどうかわからないけれど。と、その時は思いました。

機会はその1時間後くらいにやってきました。

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学校でのワークショップは先生方のために

先週の日曜からずーっと某県某市にいる。演劇ワークショップのためである。
今日で11日目だ。今年2回目の滞在。昨年もたびたび来ていた。

さて先週末から、クラス数の多い学校の、4年生を対象にしたワークショップが始まった。
全3回のプログラム。1回目は複数クラス合同でやり、2回目以降は1クラスずつ実施。学年全体としても傾向はあるが、各クラスごとに特徴があり面白い。プログラムは同じだが、クラスごとに進行の仕方とフォーカスすべき課題を変えて対応している。

今日で2回目まで終わった。そしてワークショップそのものと、クラス毎にやるワークショップ後の密なふりかえりが、各担任の先生方間で、話題のトップになっている、という話が耳に入ってきた。
詳しくは書けないが、うちはこーだったよー、そっちのクラスはそんなだったんだー、そっちのクラスの誰々にはそんな面があったんだー、とワイワイ盛り上がってらっしゃるそうだ。きっと、ものすごい勢いで、それぞれのクラスと児童個別の様子を、情報交換・共有してらっしゃるのだろう。それはおそらく長期的な指導の上で、何らか有益なことになっているのだろう、と思う。

小学校でワークショップをやるようになってわりとすぐ、小学校でのワークショップは先生方のためにやるようなもの、と気づいた。
ぼくらは一瞬すれ違うだけの存在なので、子供達をどうにかできないし、しちゃいけない。責任とれんし。ゆえに、愛情を傾けたり愛着を持ったりしてもいかん、と思っている。
でも担任の先生方は違う。子供達と日常を共にし、子供達の人間的成長を導く存在だ。責任も、ぼくらなんかより遙かに大きい。全く比較にならないくらいに。
そんな先生方のために、子供達への目線を検証しなおすための参考にほんの少しでもなれれば、それだけでも学校でのワークショップは大きな意味があるように思う。学校のなかで、子供を良き方角へと導くのは、アウトサイダーのぼくたちではなく、先生方の仕事なのだから。

って思っているのだけれども、先生個々人のなかでの情報整理だけでなく、先生同士の情報交換・共有がなんだか始まっていると聞き及び、あらためてその(少しでも子供達のために、という)貪欲さとしたたかさに驚くと共に、頼もしいなぁ、と思った次第である。(もちろんこういう良い状況になったのは、この事業を担当する先生や市教育委員会の努力も、とてつもなく大きいからである。)

残り1回(を全クラスだが)、がんばろう、と思った。先生は、先生にしかできないことをやる。ぼくらはぼくらにしかできないことをやる。それだけのことだが。

以上、色んなみかんが安くておいしい某県の、柿やキウイや湧き水がおいしい某市より、お風呂にお湯をためている間に、日記的に。


作業場小片: 子供を自己表現の道具にしない

小中学校向けワークショップの小片です。

2010年度から子供向けの演劇ワークショップを大量にやることが決まってから考えた、自分向けの戒めです。2年前か……。

作業場小片2:学校内で、子供を自己表現の道具にしない

子供というものは発達の途中にあり、精神的に未熟で無防備である。そんな子供が、大人の言うことは正しいという前提のある環境(例えば、学校)で、アーティストの言うことを聞き、やろうとするのは当たり前である。精神も環境も肉体も、対等ではないのである。ゆえに、そのような対象を使って、自己のアートを表現すべきではない。

子供を守ろう、という立場ではなく、アーティスト側の立場で、上のようなことを思いました。

こう考えたのです。以下。

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作業場小片: 自分のアートのためにワークショップをする

ずっと前からやってはいたんですが、一昨年あたりから、主に学校現場で演劇のワークショップを、それまでとは桁違いにいっぱいやるようになりました。

数をこなすと、いろいろ思うことも出てくるわけで。

で、文章にまとめようと思ったのですが、なかなか面倒で、二の足を踏んでいました。でもメモ書きはしていましたし、なんか書いて公開した方がいいじゃないかって気も。ので、メモっぽい感じというか、順不同、未分類未整理、しかも断片的な未完成稿っぽい形で、ちょっとずつこのブログに書いていくことにしました。「作業場小片」シリーズと名付けます。

こんな感じに。

作業場小片 1 : 自分のアートのためにワークショップをする

アーティストがワークショップをするからには、自分のアートのためという動機・目的を明確に持って、ワークショップを行うべきである。このことが、質の高さ、内容の豊かさを生む。

それ以外の動機・目的は、本質的に不純であり、趣旨や内容に、ブレを生む要因となり得る。

とまぁ例えばこんな。

以下、解説

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