■『渡し舟』 作・長谷基弘 ◎登場人物 女1 狂女 もしくは老女 男1 船頭 男2 旅人 ◎記号凡例 (1) 同時記号 2人以上の台詞が同時に始まる場合、そのタイミングを記号 { で示している。 (2) ブロック記号 2箇所以上で会話が同時に進行する場合、そのタイミング及び会話をブロック記号A{ B{ などで示している。 (3) 断ち切り記号 ある台詞が次の台詞で断ち切られることを明示する場合、記号 / で示している。この記号を用いている時は、人物が意志的に相手の会話を断ち切ることによって成立する会話を意図している。 (4) シーンチェンジ 特に指定されていない場合、シーンの切り替えに要する時間は、ゼロ秒以下になることを想定している。 (5) ト書きによる会話中断の回避 特に指定されていない場合、会話の流れはト書きによって分断されないものとする。 (6) 日本語表記上の留意点 この作品において、句読点「、」「。」や点線「…」は、間を指示するものではない。間を入れるべき箇所は、演者が解釈する必要がある。 (7) その他 上演中、開演と終演も含め、暗転は一切ない。 ●01 舞台上には椅子が一脚。 椅子に立て掛けるように、1メートル程度の竹の棒が一本。 男1、男2、現れる。 男1 えーっと 男2 ですね 男1 能に隅田川って演目があるんですけど……知ってました? 男2 これをやるまで知りませんでした 男1 それを元にしたお話です、だいぶ変えてありますが……ぼくは準備があるので 男2 はい 男2、待機位置に移動する。 男1 さてもさても……このようにすさんだ世の中になっても、旅をするひとは絶えないものです 男1、舟をこぐ動作を始める。 男1 私は、武蔵の国のこの川の、渡し船の船頭です 時は日暮れ前、川の向こうから、川のこちらへと、戻る途中、今日は川の向こうで催しがあり、珍しくたくさんのひとを乗せました 男2、船に乗っている。 男1 お客さんはどちらの…… 男2 どちらの? 難しい問いですね 男1 え、そうですか? 男2 どちらの方から、か、どちらの方へ、で答えがまったく違います 男1 答えたい方を答えてください 男2 それ、おかしいですね 男1 船の上の会話なんて、そのようなものです、流れ漂い、消えていく 男2 なら、水の泡でも眺めるような気持ちで聞いてください、はるばる川向こうの国々を、山を森をいとわず駆けめぐり、このままこの身がすり減って、消えてなくなるのではないかと思っていたところに、どういうわけか吸い寄せられるようにして、この地に戻ってきました 男1 ほう、おもしろい 男2 そうしたらなにか、若い柳の木を真ん中に、人々が集まっています、賑やかで、記憶ではこの渡しは、もっとこう侘びた風情の…… 男1 さいはてですか 男2 そうです、さいはての趣だった 男1 今日は特別です 男2 縁日のような屋台もあれば、泣いているひとたちもいる、あちらには笑っている人たち、なにやら徳の高そうなご仏家の姿もある 男1 何年前のことでしょうか、川向こうの国々で「あの疫病」が蔓延したおり、病をおそれる人々を引き連れ、この地まで辿り着いたひとがおりました、話によれば、その方は元々都の方だったそうですが…… 男2 ほう 男1 悲しいかな、その方も結局病に倒れ、川を越えることあたわず、向こう岸で亡くなりました、それを哀れんで地元の寺が、岸辺に墓がわりにと、柳の木を植えました……以来毎年、その方の命日にご供養をすることになりました、それが今日なのです……通りすがりの縁ではありますが、あなたも念仏を唱えたらどうです? 男2、手を合わせて、黙祷する。 男1、しばしその様子を眺めてから、 男1 都のかたですか? 男2 そう見えますか? 男1 どことなく 男2 おもしろい船頭さんです……学がありそうだ 男1 私も、都の出身なんです 男2 ああ、なにか事情がおありなのでしょうね 男1 事情というほどではありませんが……いつも何かに追われる暮らし、都はそうじゃないですか 男2 わかります、いつしか人間らしさを忘れてしまう、人は誰かのために生きるもの、だが都にいると日々に追われ、自分のことしか考えられなくなる 男1 そんな毎日に嫌気がさしましてね 男2 それでこのさいはてに 男1 さいはてというか、端境(はざかい)ですね、戦、疫病、飢饉……災いに溢れる彼の地との端境で、行き交う人を、向こうに送り、こちらに戻し、そんな暮らしです、私のような者にはちょうどよい……旅人を眺める楽しみもある 男2 先程、川のなかほどで、私の身の上を話しているときでしょうか、おもしろいとおっしゃっていましたね 男1 ああ、はい 男2 どのあたりがおもしろいのでしょうか 男1 向こうの国々を駆け回っていたが、吸い寄せられるように戻ってきた、のところです 男2 それのどこがおもしろいのでしょう 男1 吸い寄せられる、のところに、なにかこう、玄妙な、人知で推し量れないことわりを感じたのです 男2 ことわりですか 男1 ええ……そろそろ岸につく、長話につきあって頂いてありがとうございます 男2 こちらこそ、思いがけず、よいひとときを過ごしました 男1 都は雲と霞の遙か向こう、山を幾つもこえ、関所を幾つも通ってようやく辿り着きます……どうか道中、お気をつけください 男2 ありがとうございます……それでは 男2、去る。 男1 さてと……まさに、日が武蔵野を囲う山々の向こうに落ちようとしている、私もそろそろ帰ろうと思います 女1、やってきて、舟に乗り込み、座る。 男1 なにしてらっしゃるのですか? 女1 乗りますよ、これは舟でしょう? 男1 そう見えますか? 女1 水に浮いていますもの 男1 たしかにこれは、舟です 女1 あなたは渡し守 男1 いかにもそうですが、これから纜(ともづな)を陸(おか)にかけ、帰ろうとしているところです 女1 泳いで渡れと言うのですか? 男1 困ったな、物狂いだろうか 女1 さぁ、向こう岸へ 男1 日も暮れました、今日はおしまいです 女1 なにを言うのやら、あなたもこの川の渡し守なら、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」と言うべきところでしょう 男1 これは変わった物狂いだ、伊勢物語を引き合いに出すとは 女1 船頭さん、あそこに白い鳥が見えますね 男1 ああ、カモメですね 女1 そこは都鳥と答えるところでしょう、伊勢物語ならば 男1 これは失礼しました、なら改めて……はや舟に乗れ、日も暮れぬ 女1 伊勢物語ですか、おもしろい船頭さんです 男1 あなたが始めたのですよ 女1 さぁ、早く、舟を 男1 こぎ出しは揺れます、お気を付けて 男1、舟をこぎ出す。 男1 向こう岸に着くまで、立ったりしないように 女1 向こうが賑わっているのは 男1 この地で亡なくなられたさるお方の、命日なのです 女1 人が死んで、賑わっている 男1 功徳を積んだのでしょう、死してなお、人が集まる 女1 鳥も集まってきています 男1 川縁で羽を休めているのです、夜が来るから 女1 舟競う 堀江の川の 水際(みなぎわ)に 男1 来居つつ鳴くは 都鳥かも……今度は大伴家持(おおとものやかもち)ですか 女1 ええそうです 男1 今のお姿とは違い、高貴な暮らしをなさってらしたと見えます、都のかた…… 女1 ええ、遙か都から、迷い歩いてここへ 男1 つい今しがた、都へ向かうという人を乗せていました 女1 はて 男1 桟橋ですれ違ったでしょう 女1 いいえ、誰とも 男1 そんなわけはないが……入れ替わるようにして、あなたが乗ってきたのです 女1 川岸に辿り着いたとたん、折りよく舟が寄せてきた、これは仏のお導きと思い、乗り込んだのです 男1 その舟に、都に向かうという人を/ 女1 物狂いだと思ってからかうのですか? 男1 そうではありません 女1 学のある、おもしろい船頭さんだと思ったが、結局あなたもからかうのですね? 思えば道中、人にからかわれてばかり 男1 なら話を変えます、伊勢物語のくだんのくだりで、「わが思う人は ありやなしや」とありますが 女1 ええ 男1 思い人あって、このさいはての川まで 女1 ええ 男1 男の方 女1 男といえば男ですが、私にとっては男とか女とか、そういったことではない、ただ一人の、我が子です 男1 もしよろしかったらお聞かせください、どんな…… 女1 難しい問いです 男1 え、そうですか? 女1 どんな子なのか、どんな事情なのかで、答え方が違います 男1 答えたい方を…… 女1 おかしなことを言う 男1 はて、さっきもこんな話をした 女1 よいでしょう、水の泡でも眺めるような気持ちでお聞きなさい 男1 ますます妙だ 女1 もう何年も前のことです、私には一人息子がおりました、かけがえのない子でしたが、ある時思うところあって、この川の向こうの国々を目指して旅に出た、それっきり戻らないのです 男1 戦に疫病、飢饉、野は荒れ、山は炎で焦げ 女1 そんな国々を目指して 男1 行ったと 女1 わざわざ 男1 お子さんには、どのような思いがあったのでしょう 女1 遠い国のことと思っていればよいものを、我が子は、人々を助けるのだと 男1 それは…… 女1 愚かな事と言う人も沢山おりましたが、私はそうは思いません、ただ、立派な事と言ってやるには、私の心は寛容ではありませんでした 男1 その息子さんを追って、ここまで 女1 便りは、最初の年に一度きり、はるか川向こうの国々を、山を森をいとわずかけめぐっていると 男1 山を森を……はて 女1 便りには、あの子の好きだった歌が添えられていました……道の辺に清水流るる柳陰 しばしとてこそ立ち止まりつれ 男1 西行法師ですね、暑い夏、川辺の柳、通りすがりのふとした憩い、涼やかな歌です 女1 あの柳のごとく、真夏に涼を供するような人物になりたいと、あの子はいつも 男1 柳で陰ができるのは、柳が日にさらされているから 女1 今、聞こえました 男1 はい? 女1 南無阿弥陀仏と唱える声が……この川は三途の川、ならこれは此岸から彼岸へ渡る舟? やはり私は死んでいるのでしょうか 男1 夜になったので、川向こうで念仏が始まったのです、それが風に乗って聞こえてきたのでしょう 女1 その念仏に我が子の声は混ざっているだろうか 女1、耳をすます。 男1 その疫病の盛んな頃、病を恐れる人々を連れ、この地まで辿り着いた方がいました 女1 その方の生まれは 男1 都の方だと聞きます 女1 おいくつくらい? 男1 わかりません 女1 その方は今どうしていますか 男1 川を越えることあたわず亡くなりました、それを哀れんで、地元の寺が、柳の木を植えました 女1 柳を 男1 今日はその命日、以来毎年、この日に柳のもとに集まり、盛大に供養を 女1 その方のお名前は? 男1 名乗らず亡くなったそうです 女1 そうですか 男1 ただ、そこまでのことをする方は、そう多くいるわけではありません 女1 なら、そうなのかもしれませんね、いえ、そうなのでしょう、富士の峰が見えてきた頃から、うすうす予感はあったのです 男1 寺衆に訊ねてみてはいかがでしょう、そのときの遺品があるかもしれない、もしかしたらわかることも……顔見知りがいます、ご一緒しますよ 女1 都を離れ、見も知らぬ東国に下ってきたというのに 女1、手を合わせ、祈る。 男1、こぐ手を止め、その姿をしばし眺める。 女1、祈るのをやめ、振り返る。 女1 なにか 男1 いえ…… 女1 あなたもそれなりの生まれと見えますが、世を捨て船頭に身をやつしているのでしょう? この世を生きていない、死人となにも変わらない、私とて同じです 男1 まもなく岸に着きます 女1 まずはあの、念仏を唱える人たちに加わるとしましょう、その後は、我が子がかつて訪れた国々とやらを、苔むす野ざらしになり果てるまで、山を森をいとわず、歩き回ることにします 男1 それはよろしくない、都にお帰りなさい 女1 これは先へ行くだけの旅です、後戻りはできません 男1 確かではありませんが、あなたのお子さんは、きっと今、都を目指していると思うのです.……着きました、気をつけてお立ちください 女1、立ち上がる。 女1 どうしてわかるのですか? 会ったのですか? 男1 かもしれません……そんな気がします 女1 気ですか 男1 生きていれば必ずそうします……ここで亡くなったとしても、そのたましいは、かつて自分が思いを注いだ国々を漂い、やがて吸い寄せられるようにここに戻り、この舟で、川を渡って、あなたの住まう都へ……きっとそうです 女1 そうかもしれません、ただ私は、生きている我が子に、もう一度触れたかった 男1、舟を下り、女1に手を差し出す。 女1、男1の手に触れ、舟を降りる。 終 ◎あとがき  この戯曲は、謡曲『隅田川』から着想を得てつくりました。  こういう内容ですが、初演のときは着物は着たりせず、ちょんまげもせず、いつの時代かわからない感じで上演しました。  時代物、というくくりは変ですがが、こういう時代がかった背景の劇も、カジュアルに上演されるようになればいいなぁと思います。時代劇のテリトリーっぽく思える世界って、題材、山のようにあるので。 ◎上演記録・他 ○初演 2014年4月 劇団桃唄309+母子劇場+N.S.F.+東京オレンジ 短編劇集 Vol6 春カフェ『せんそういろいろ』 東京/東中野/RAFT Bプログラム3本目として上演 http://www.momouta.org/main/products/p201404cafe/ ○上演をする場合 この作品の無断上演は、固くお断りいたします。 この作品の上演をご希望する際は、奥付に記載の「ウィンドミルオフィス」までご連絡をください。 養成所などの教育機関による無料公演の場合は上演料を頂きませんが、上演許可は事前に必要です。ご連絡頂く際に、その旨お知らせください。 高校演劇大会での上演につきましては、全国高等学校演劇協議会の規定通りです。 ○著者について 長谷基弘(はせもとひろ) 劇作家/演出家 劇団桃唄309代表 terrace プログラム・ディレクター 一般社団法人 日本劇作家協会 運営委員 特定非営利法人 劇場創造ネットワーク 理事 桜美林大学 非常勤講師 (戯曲) 埼玉県立芸術総合高等学校 非常勤講師 (演劇) 東京出身/立教大学文学部心理学科卒 http://www.momouta.org/b/company/profile-chairman/ ※2015年6月現在 ◎奥付 書名前置 短々編戯曲 書名 渡し船 書名ヨミ ワタシブネ 著者 長谷基弘 著者ヨミ ハセ,モトヒロ 発行日 2015年6月10日 発行元 ウィンドミルオフィス 発行元連絡先 〒166-0003 東京都杉並区高円寺南1-18-14 丸江ビル3F 03-3314-2446 office@momouta.org www.momouta.org 著作権者表示 Motohiro Hase (C) 2014- 禁止条項 この作品は、日本および国際条約によって保護されています。 この作品の複製・改ざん・無断上演を禁止します。 底本・題名 上演台本『渡し船』 底本・諸情報 2014年4月24日初演 書籍製作 ウィンドミルオフィス office@momouta.org 書名英名 Watashi Bune (the ferry boat) 著者英名 Motohiro Hase レーベル 風車文庫 版番号 1