





國津です。
桃唄の演出家であるところの長谷基弘氏は血液型で物事を判断することに対して否定的である。
ボクも否定的なスタンス。
理由はいくつもあるけど、一番大きいのは、血液型を分ける原因となる成分には人体に情報を伝える機能がないから。
例えば統計と偏見の積み重ねで、血液型による人格のカテゴライズが出来たとして、それは結果的に血液型とかぶったってだけで原因は別のところにあるんだろうと思う。
で、ここからが本題なのだけれど…
血液型に寄る人間の評価ってのは差別の前段階だと思う。
さっきも書いたことだけれど、所詮は統計と偏見の積み重ねなのだ。
それも大規模に学術的に行ったわけでもない根拠や信憑性に欠けた。
問題はそこだ。
根拠が薄弱なだけに実は反論するのが難しいのだ。
もっと言えば、血液型診断を信じている人は理論によってそれを信じているわけじゃないため、理屈に訴える意味がないのだ。
誤解して欲しくないのが、ボクは何も血液型診断そのものにパッシングしているわけじゃない。
身近なものを材料にしたちょっとしたゲームとして血液型診断もしくは占いはよく出来た娯楽であるとも思うし、娯楽要素を持ち込むことで多くの人が自分の血液型を知って生きている。
というか正確に言うと血液型を確認させるために意図的に普及されたのが血液型占いなのだけれど…
たまに不安に思うのが、血液型に寄る人間のカテゴライズがエスカレートしない保障はないと言うこと。
個人レベルでこそあれ、差別と呼べる域の血液型診断をされている人もいるのではないだろうか?
バカげた不安だと自分でも思うけれど、例えば子供のイジメなどはプラス要素マイナス要素関係なくちょっとした人との違いがイジメの理由になったりする。
そしてそれと同じことは社会においても往々にしておこっている。
「それにしたって…」
と思うでしょう?
でも今の日本を見ていると、そんな不安を払拭できない何かがあるんですよ。
なんてちょっと重く纏めてみた今日の雑記でした。
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