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まずは先週土曜に撮った写真を何枚か。写真はflickrに置いてあり、クリックすると大きなサイズで見られます。
上は我が家のグミ。食べられます。
グミは漢字で書くと胡頽子。グミは二音なのになんで漢字にすると三字なんだろう。そういやブナも漢字にすると山毛欅だ。
左下に赤い光が写り込んじゃった。まあいいや。
上は、新中野の住宅街のなかにポツンとあった公園で撮ったものです。
小さい公園なんだけど、なぜかタチアオイが咲きまくり。そこに大きめの蜂がウキウキと群がっていました。
シャッターチャーンス、と思ったのですが、ヤツらはかなり落ち着きがなく、相当枚数撮った割にはいい感じのものがほとんどありませんでした。
下は、その公園を入り口から撮ったもの。タチアオイの通路ができています。
下は、同じ公園で撮ったその他の写真。左がウンカ、右がカメムシです。
さて。
今は夜中の1時半。外で書いています。今日は考え事をしながら一日中移動を繰り返していました。来年の新作の構想を練り練り。もうノンストップで練り続けて36時間目くらい。産みの苦しみ真っ最中です。ちょっと頭が変な感じになっています。
なんかね。癒しとかなごみってあるでしょ。儂もノートPCのデスクトップに「なごみ用」って名前フォルダがあって、ネットで拾った心なごむ動物画像がたくさん入っているんだけど、今使われている「癒される」とか「なごむ」って言葉の感覚って、昔はなかったような気がしない? ま、そんなこと言ったら、昔はなかった感覚の言葉も、昔はあった感覚の言葉もいっぱいあるんだけど、それは置いといて。現代的な「癒し」という概念が生まれたから、ストレスというものも相対化され、実感が増し、かえって疲れが増すってこともあるような気がするのよ。「癒し」のせいで生まれた「ストレス」もあるんじゃないかしらん。癒されたいと思い、儂が「なごみ」フォルダの画像を見れば見るほど、ストレスが形をなしていくということもあるのかもしれんね。ほれ、限りなく仏教だけど、美しいって思うこともある種差別心につながるっていうか、美を感じ取ることで美と醜を分ける気持ちが発生している、っていう考えもあるじゃない。
というようなことを劇にできないかと、現段階では考え中。いったいどうやって? って構想段階初期ではいつも思います。
そんでもって、上のようなわやくちゃな考えを力づくでまとめようとするのは時間もかかるしご飯も食えなくなるし大変消耗します。ま、そういうものだし仕方ないんだけど。
さてさて。
今週もワークショップが3つ。
今日月曜は埼玉大学でドラマリーディングのワークショップ。イギリス文化な講義のゲスト講師として行きます。
水曜は横浜の中学校で敬語のワークショップ。敬語を使うシチュエーションを考え劇にするというワークショップです。
木曜は先週に引き続き、立教大学で創作のワークショップ。異文化コミュニケーション学部という新設学部のカリキュラムに組み込まれたワークショップです。
予想では水曜が一番体力を消耗しそう。遠いし中学生だし。でも敬語のワークショップはいいプログラムだし「誰でも運営できる」ものに発展させていくための良い機会なのでやる気いっぱい。木曜のは、立教の学生はチャラチャラしているし落ちつきないし騒がしいんだけど、母校だし自分も当時は結構チャラチャラしていたし、なんかそういうのも含めてかわいくてしょうがないOBお父さん気分になるのは目に見えているのでOK。
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