| « CGとセット撮影で再現したヒロシマのあの日 | ヘリウム吸って管楽器吹くとどうなるの? » |
12/25。この日、現代史的にはなにが起きたかな~、と調べてみて、引っかかったのがコレ。
理想に燃えた共産主義者ポル・ポト率いるクメール・ルージュ。中国の文化大革命にインスパイヤされ、クーデターで政権を取るやいなや原始共産制を施行。教育や医療はいらんとして、知識階級を追放、または捕獲&拷問&殺害。知識階級といっても、頭がよさそうに見えるとか、メガネをかけているとか、目が気に入らないとか、そんな感じでも連れて行かれるアバウトさ。もちろん国はメチャメチャに荒れていきました。
ポル・ポト政権下では、当時人口800万程度の小国だったにもかかわらず100万~200万の人が殺されたと言われています。言われています、というのは正確な数がわからないからです。多すぎて。
カンボジア内線については、下記を参照のこと。
→ カンボジア50年
さて、プノンペン市内に「ツール・スレン虐殺博物館」という場所があります。「S-21」と呼ばれた収容所です。
→ Tuol Sleng ※英文。大量の「収容者の写真」見られます。
→ Tuol Sleng Genocide Museum/Killing Field ポル・ポト時代の傷跡 (静寂のカンボジア)
→ Genocide (アンコール遺跡群フォトギャラリー)
S-21は元学校だった場所。鉄棒など、学校の校庭にある物も拷問のために利用されました。例えばですよ、自分の母校の校庭にある鉄棒に、死を待つばかりの無実な人々が、ぼろ切れのごとく大勢吊り下げられている図を想像してみてください。なかなか絶望的です。
さて、ベトナムに亡命していたヘン・サムリン将軍とベトナム軍の侵攻後、ポル・ポト派はゲリラとなって抵抗をし、内戦状態はしばらく続きました。
1989年のベトナム軍撤退、1991年の和平条約(パリ和平)を経て、国連による暫定統治が始まり、1993年には総選挙を行うこととなります。
この総選挙の準備期間中に、現地で貢献をしていた日本人が、二人殺されていることも忘れてはいけないことでしょう。忘れっぽいですからなぁ、我々は。
そういえば東ティモールに文民警察官を派遣するそうですね。安全であると判断したとして。カンボジアの時もそういえば、安全だと言って派遣したような。
以上、おおざっぱな内容でアレですが、昨日気になってふと調べてみたことのメモを、クリスマス記念に公開。